高検に証拠確認専門官 特捜取り調べ一部可視化へ (産経新聞) - Yahoo!ニュース
ちょっとやっぱり数週遅れなんじゃないだろうか。まあそこから踏み込んではくれたわけだけど。
特捜部の人間が「真相解明が難しくなる」から反対、と言っているようなのだが、この世の中に唯一絶対の真相があるなんて、未だに信じているのか。反省が足りなさすぎる。リクルート事件の真相はなんなのか。ライブドア事件の真相はなんなのか。それらにおいて真相らしきものは提示されているが、それは特捜部が優秀かつ正直であるという前提のもとでのみ成立する。実際特捜部の言う「郵便不正の真相」は完璧に崩壊したではないか。検察官の正当性が失墜した現在、これらの「真相」を支えるものは証拠しかない。そしてその証拠の信頼性を向上させようというのが今回の最高検の新たな方針であるというのに、それに反対するというのは、特捜部はバカなのか、わかっていっているのか。後者だったらもはや彼らは正義を希求するという当初の目標を忘れた、自己保身に走る醜い役人であろう。でも多分前者だと思う(バカのほう)。
検察官が考えたストーリーや無理やり吐かせた供述よりも、証拠を重視するというのは、別に検察官が無能だとかそういう意味ではない。自由主義が浸透し、社会が進歩して、必ず徐々に起こってくる現象だ。例えば300年前、お奉行さまが「これは真相」と言えばそれが真相だったはずだ。今から考えるとバカバカしい。だが結局現在の日本の検察官がやっているのはこれと同じこと。むかしお医者様が「あなたはこういう病気でこういう治療が必要」と言ったらハイそうですかと納得していただろう。今は違う、エビデンスを重視し納得行くまで説明してインフォームド・コンセントをとらなければならない。検察官も全く一緒なのだ。なにも不思議なことはない。
人類が自由主義を求めて進歩すると、これらの特権はことごとく剥ぎ取られる。自由主義を求めないなら、将軍様を頂点にいただきたいというなら、検察官の無謬の権威も保たれるだろう。そして多分特捜部辺りの兵隊たちはわかっていないが、最高検などのエリートはこのことを理解している。理解していてなおのこと検察官神話を維持しようとするのが今回の方策なのではなかろうか。それは意識的にやっているのか、無意識に組織防衛として行っているのかはわからない。
しかしいずれすべて瓦解する。「検察官がこういった」ことと「被害者がこういった」ことの価値は等価になる。そのとき裁判を決するのは重み付けされた客観的証拠と、そこから導かれる結論だ。
そうなるとこれまで特捜部がクロだと思ってそのまんまクロ認定されていたようなことの一部は、証拠不十分で有罪にしきれないものもでてくるだろう。だがそれはしょうがない。人間が全能ではないという当たり前の事実の帰結に過ぎない。そしてそのような事実すらもあけっぴろげに暴露してしまう、それが進んだ自由主義のかたちなのだ。この国が北朝鮮や中国ではないということの雄弁な証明なのだ。
ちなみにいうと客観的証拠の一つに統計が入るとなおよい。これはアメリカではもう行われているはず。0か1か、モノがあるかないか、言ったかどうか、ではない。事実をもとに統計学的に、ある程度の危険度のもとで下される判断だ。例えば昔山形浩生が訳した本で、看護婦が患者を殺そうとしたかどうかについて、一般的看護婦の行動と当該看護婦の行動とをある点において測定し(病室訪問回数だったか?)、当該看護婦のそれが統計学的に有意に多いというのが有罪判決の決定打になったというものがあった。
今の日本はすべてをバカに合わせる。この風潮のもとでは統計解析を裁判員が判断するなど難しいかもしれない。だが日本もかつては知性を重んじ、努力を尊ぶ民族だったはずだ。やろうと思えばできる。必要なのは今に安住せず、よりよいものを求める姿勢だろう。
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