Cocco/歌詞:強く儚い者たち/うたまっぷ歌詞無料検索
昔、Coccoがとても好きなときがあった。あのときはなぜか住んでいたアパートがケーブルテレビを契約していて、スペースシャワーTVでこの歌を聞いた、というか見た。空想的な歌で、雲ひとつない青空と深く青い海に漕ぎ出でる船、その裏に横たわる闇のイメージが頭に浮かんだ。こんな歌は他にないように感じた。特に何かを訴えるでもない、何かの美しさを歌いあげるでもない。まっぼくはあまり歌は知らないんだけど。でも宇多田ヒカルが出た時も、椎名林檎が出た時も、この日本人アーティストはじつはアメリカのなになにのパクりだ・・・と言っていた友人も、 Coccoに対してはなにも言わなかった。だいたいメロディに何か飛び上がるような新鮮があるとかじゃない。Coccoの素晴らしいのはただ単に歌詞にある。と言っても書き下した詩として、世の中に残るかというとそれほどの素晴らしさではないけど、あの時代に生まれてきて表に出てきた歌としては優れていた。ただ思春期の女性があるまったりとした一日に、ふと頭に思い浮かべる耽美的な空想だと感じた。特に不健康には思わなかったな。
それからファーストアルバムのブーゲンビリアを借りてみて聞いた。こちらにはわりと病的な歌もあった。だけど、遺書という歌があった。信じられないくらい美しい歌だった。強く儚い者たちからはわからなかったけど、医学生だった僕は、ブーゲンビリアを聞いた後、これは精神分裂病のなりはじめか、境界型人格障害のどちらかだろうなぁと思った。芸術家としては理想的だと思ったものだ。今となってはそんな、専門外にくちだすような評価なんてしないけど(間違いが多いことがわかってるけど)、何かを知り始めた学生というのはそうやって全能感に浸るものだね。
そのあとの歌は、聞いてはいたし悪くない歌もあったけど、最初に感じた、特に遺書に感じた衝撃をもう一度感じることはなかった。ライブの時は裸足で歌うらしいというウワサがあって、実際ミュージックステーションで裸足で歌ったことがあったと思う。まあ上のようになまくら精神科的診断を下していたので、特に驚きはしなかった。そのうちCoccoは表舞台からいなくなった。治療目的だろうかなと思った。
戻ってきたCoccoは、以前と違っていた。表情は明るいし、靴も履いている。そしておとなになっている。境界型だったのかな。その中では非常にうまく克服した人だとも思える。幸せになってよかった。でも僕は遺書が一番好きかもしれない。
2010年12月11日土曜日
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